他人から幸せそうだと思われるより、
自分が幸せだと実感できる人生を歩みたい。
しかし、他人との比較を避けては生きられない私たちは、そうするのが難しいこともあります。そんな自分を見つけた時、考え巡らすお供に読んでもらえると嬉しいです。
「選択」という言葉は、もちろん昔からあった表現です。
しかし、ここまで選択の重要性が叫ばれるようになったのはいつからでしょう…。
多くの情報に触れられることで便利さを感じる反面、それが溢れる状態にまで至った今、私たちはうまく選び取れないことに悩むようになりました。
一方、上手に選択し、快適に人生を送る人と比較し、ガックリくる。
そんな経験はありませんか?
中でも人生の軸足の置き方が
定まっている人には安定感を感じます。
ただ、こういうことを考えなくても、収入がありさえすれば生きていける現実もあります。そのため、目の前のことを優先し、わざわざ立ち止まり考える人は、少ないのかもしれません。
と言いながらも、高齢社会に抗うことはできず、人生の残り時間を想いながら、選択の重要性を考え始める人も増えつつあります。
流れるように過ぎる日々の中、自分の「選択」を改めて意識する。
些細な選択から
人生を左右するような重大な選択まで。。。
そうして、
些細な選択と思っていることが
実のところ、人生の分岐点になっていたのだと、後で知ることがあります。
全ての選択に大きな力を込めることはできません。
しかしながら、小さな選択も分岐点になることがある…と意識する余裕が、私たちの日々を変えていくのだと思います。
人生の選択にあたり、
あなたが好きなことは何ですか?
あなたがしたいことは何ですか?
あなたが幸せだと感じることは何ですか?
…..と問われた時、
即答できる人は幸せです。
海外旅行をするとか
ブランドものを買うとか
美味しいものを食べるとか
そういうことで満たされる感覚ではなく
心の奥から、そこはかとなく湧き上がるような幸せな感覚。
損得勘定では量れない、つかみどころはないけれど、確かに感じる希望の兆し。
多くの人が求めているのではないでしょうか?
歳を重ね、私は、
人が幸せや喜びを感じる時というのは、外から分かる、誰もが認めるような華やかな出来事とは限らない…と感じるようになりました。
他人からは「それのどこがいいの?」というような、地味なことの中に、自分だけがじんわり感じる喜びもあるのだと…。
逆に、誰もが悲しみと捉えることが、いつも不幸につながるとは限らないと思うようにもなりました。
これは、私がパートナーとの死別で学んだことです。
当時の私は「この経験は何を教えてくれているのか?」と何度も自問しました。そして、人生最大の分岐点となり、子育てへの気持ちと少しの冷静さを取り戻すことができました。
月並みですが、人生いろいろ、悲喜こもごも。
そんな日々の選択に喜びの種があるとしたら、それは見逃したくない…そんな気分になりませんか?
地味な喜びは、日々の忙しさでスルーされることがあります。それほど、私たちは自分の感覚を軽ろんじているのかもしれません。
たしかに、いつもいつも選択に注力するのは難しいことです。
それでも、
人生を眺める角度を少し変えることを選択してみる。
そうすることで、見えてくる景色がグッと変わります。
ささやかな喜びに立ち止まり、
その喜びに気持ちを巡らす。
そして
その気持ちを行動につなげてみる。
「え?
ささやかな喜び?
希望の兆し?
最近そんなことないわ….」
とおっしゃる方。
そうそう、
そうなんです。
日頃からアンテナを立ててないと見過ごしてしまうのです。
アンテナは次の選択につながり
私たちの心の景色を変えてくれます。
さて、
遠くない将来、
アンテナが立ったあなたが観る心の景色は
どんなふうに変わっているでしょう?
コメント