モヤモヤした気分がどうにもならない。
周囲の目を気にし過ぎて生きづらいことは薄々気づいている。でも、それをどうしたらいいのかわからない。
つらい….。
ここでは、そのような状態を分解し振り返ることで、生きやすさにつなげてもらいたい。そんな思いで綴りました。
「どうして心がスッキリしないのだろう?」
「どうしてこんなに心が窮屈なのだろう?」
「どうして思うように話せないのだろう?」
他人との間に波風を立てることはないし
これまで大きなトラブルを起こしたことはないのに・・・。
そうですよね、
周囲に合わせることが多いし
相手の気分を害さないように自分を抑えているのだから、相手との間に波風を立てることは少なかったと思います。
でも
その分、自身の内側では波風が立っていたのでは?
改めて振り返ってみるとどうでしょう?
いつものことだから…と慣れてしまって
それが普通になっているかもしれないけれど
ふとした時に心の不自由さが迫ってくる。
そんなことはありませんか?
人生のツケ
その不自由さの元を
ここでは『人生のツケ 』と呼ぶことにします。
そして、
そのツケをなるべく早く払って、心軽やかな日々が訪れるよう、一緒に考えて頂けたら…と願っています。
まず、
『人生のツケ』…なんて耳ざわりが悪いですよね。
でも、私がご相談を受ける中で、確かに伝わって来るこの感覚には「ツケ」という表現がピッタリだと感じるのです。
ツケの正体
苦しむ人の多くが溜めたツケにはいろんな種類があります。
中でも、
ここで書く『ツケの正体』は、「自分で選択・決定してこなかった“後悔”」です。
・ふだん何気なく通り過ぎる判断
・人生を左右する大きな選択や決断
私たちは、いろんな形で自問し、答えを出さなければならない選択の機会を持ちます。
そんな時、
あなたはどのように選択しているでしょう?
周囲の反応、世間の常識を重視し過ぎている…と感じたことはなかったでしょうか?
また
「親ならどんな答えを出すだろう?」
と自分の内側に問うのではなく
これまで決めてくれていた人の考えに頼ってしまうことが多くなかったでしょうか?
思い当たる方は
その結果
「なんとなく決めてしまっていた」
「決まってしまっていた」
・・という、不本意な感覚を思い出されませんか?
自分の思いがわからない
例えば
▼自分の人生の節目についてなら
・失敗する恐怖
・多数派に属することを優先
▼相手が居ることなら
・相手に対する恐怖
≫ 嫌われる、 見捨てられる、今後誘ってもらえない
だから相手に合わせてしまう
・相手が去っていかないことを自分への評価としてしまう
・従うことで守ってもらえると錯覚してしまう
・「円満」という状態を優先してしまう
・たまに感じる納得いかなさでさえスルーしたり茶化したりする
など、
このようなことがあると「実際の自分」と「他人に見せる自分」のどちらが本当の自分なのかわからなくなります。そうして、これらを発端に芽生えた不本意な感覚から生まれるのが「人生のツケ」です。
この不本意な感覚が度重なると「人生のツケ」は溜まり、モヤモヤと霧のようなものが胸に立ち込め、心が晴れない状態が常となります。
その場やその相手に合わせてしまうことで、当然一貫性や主体性に欠ける姿勢になってしまいます。そうして、その姿勢は後に、人生のツケとなり心を揺さぶることになります。
本来なら判断、選択、決定する時、自身と丁寧に向き合うことでツケは溜まらずにすむはず….。それがわかっているのに、難しい。。。
つらい年月を過ごされたと思います。
自責より今後に光を
すき好んで続けて来たわけではない。ツケを重ね続けたのには、理由があったのでしょう。物心つく前に「 ツケ 」を溜めざるを得ない状態を強いられた経験など、環境がそうさせたこともあるでしょう。
自分では、大して意識していなかったかもしれないけれど、心の自由は少なく、コントロールされた時期を過ごされたのだと思います。
生まれた時から他人の目を気にしている赤ちゃんなど居ませんから、それ相当の理由を抱えてのことでしょう。
このページを読んで下さっているあなたは、これからもずっと「ツケ」を溜め続ける必要はありません。現状を確認できたのなら、自分を責めることはなく、今後どう進めば良いかに心を遣う方が賢明です。
そうして、「こんなの、や~めた!」とあなたが本気で思ったときから「ツケ」は清算され始めます。
「人生のツケ」を清算する道
公開:2012年6月14日
改編:2021年12月25日