「私は、HSPなんです」という発言への危惧

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「私はHSPなんです」という発言….近年しばしば耳にします。HSP傾向であることを知り、「これこそ私のこと!」と救われる思いの人もいる反面、そうならない方もいらっしゃると感じます。HSPをはじめ、広がる新語の捉え方について疑問に思うことを綴っています。


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タイプ分けで自己分析するのは、楽しみに繋がることも多いです。自分にはこんな特性があって、こんな素質も秘めているのだ、と自分も意識できていなかったことを知ると嬉しくなります。

しかし、
心の症状を示す新語についてはどうでしょう?

例えば、
既に周知されているトラウマやアダルトチルドレン(AC)に加えて、数年前から広まっているHSP。

これは、Highly Sensitive Personの頭文字をとったもので、さまざまなことへ敏感に反応し、生きづらさを抱える人の総称です。
「繊細さん」とも呼ばれていますね。

ただ、
これは病気ではないので、医療受診して下される診断名ではありません。

そのため、
私が、ご相談を受ける中で、「HSPなんです」とおっしゃる方のほとんどは、ネットのセルフチェックで判断されているようです。

発達障害などに伴う、視覚、聴覚、皮膚感覚の敏感反応については医療受診は有効だと思います。受診の結果、その方の特性が確認され、サポートに繋がるのは幸運なことだからです。

一方、
人間関係にまつわる敏感さの判断はどうなのでしょう?

その判断によって、ポジティブな言動に繋がるなら良いのですが、そうではなく

「だからできない」
「だからしない」

という消極的な方向へと進むのは残念だなと思います。

トラウマやアダルトチャイルドに関しては、虐待や性被害、子ども時代の深い傷つきを抱えた人が、トラウマ治療やACの回復ステップを踏むのは、必要だし、効果的な方法だと思います。

自分の状態に名前がつくことで、救われ、それが生きる力に繋がれば喜ばしいことです。

例えば、
心身症状ではありませんが、DVやセクハラというワードがそれに該当します。被害の状態がネーミングされたことにより、当事者や周囲にも気づきが促されました。
その結果、大きなムーブメントにつながり、社会が良い方向に進みつつあります。

しかし一方、
そうでない場合の過剰反応を危惧し、新種のワードの捉え違えに疑問を感じます。

それは
人生の歩みをストップさせ、生きづらさを増すこともあると感じるからです。

例えば、
アダルトチルドレンへの過剰反応などでは親の落ち度を繰り返し思い起こし、育った環境を恨み続けるなど、生きづらさの箱に自ら入ってしまう。

でも本当のところ、
自分を枠に閉じ込める思考はできるだけ早く手放したいと願っているはずなのです。

そこで
自らできることとして、提案したいことがあります。

それは、そのことへの

 「語りを変える」

   ということです。

例えば、
過去については
「いろいろ大変な思いをしたけれど、
私は頑張ってきた。よく生き抜いた」と自分を労う。

現在については
「なんだかんだ言いながら、希望を持ちたいと将来について考える自分が居る」などと、未来から差し込む光を想像し、ささやかでも、生活に工夫できることを考えてみる。

自分についてどう捉え、いかに考えるかは、
私たちはいつも自由で居ていいのだと思います。

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